今回のお題
今回は音楽についてです。
紹介するのは矢野真紀さんの「せんたくもの」です。
あまりにも日常的すぎるタイトルですが、
だからこそいつもの世界が違って見えるような、
新しい視点に気づかせてくれる大好きな一曲です。
この曲に出会い、世界に向ける眼差しが
少し優しくなったように思います。
これからも何か嫌なこと、辛いことがあって心が曇ってしまった時には、
ことあるごとに聞くであろう大切な一曲です。
真紀さんの眼差しを通して、
周りの人の人生について心を寄せることができる。
そんな素敵な名曲だと思います。
いろんなものが干してあるんだ
印象的だった歌詞を一部抜粋しつつ、私の感じたことを書いていきます。
まずは曲の導入部分。
じつはここが私の一番好きな部分でもあるのですが、
以下の歌詞でこの曲は始まります。
孤独のタオル、愛のTシャツ
悲しみのセーター、喜びのクツ・・・
あちらこちらのベランダに今日も
いろんなものが干してあるんだ
タオル、Tシャツ、セーター、靴。
どこの軒先にも干してあるような平凡な洗濯物。
どこの街でもよく見かけるあたりまえの風景です。
そんな景色は物心つく前からずっと私の目にも映っていました。
ですがそれはただのモノでしかなく、
これまでそこから何かを感じることなどありませんでした。
しかしこの曲で見せる真紀さんの眼差しは違います。
孤独、愛、悲しみ、喜び。
ありふれた洗濯物のひとつひとつに人の感情、記憶が詰まっている。
ただの生活用品としてのモノの奥、
モノに込められた人の思いを感じ取っているのです。
確かに、洗濯物の数だけそれを使った人や、洗った人が存在します。
その洗濯物を身にまとっていた時には何かを感じていたはずで、
その思いの積み重ねが人の人生を彩っていきます。
ただ目に映るありふれた光景が、
実はたくさんの人の人生の色彩なのだと気づかせてくれました。
私自身、これまでにもたくさんの洗濯物を干してきました。
幼き頃、今は無き祖父や祖母がプレゼントしてくれた服。
学生時代、ハードな部活でいつも愛用していた相棒のタオル。
修学旅行の思い出のつまったジャージ。
お小遣いを貯めて初めて自分の意志で買ったジーンズ。
社会に出て、日々の仕事でお世話になっているYシャツたち。
実家暮らしの間は全て母親が洗濯してくれました。
日々自由気ままに汚れ物を出す私に文句一つ言わず、
何年も何年も、
毎日毎日、
ひたすら洗って、
干して、
時にはつくろって、
丁寧にたたんでくれました。
そんな母の思いはまさに子に対する無償の愛なのだろうと思います。
そしてそんな母にずっと元気でいて欲しいと思う、
実家を出てはじめてわかった親の苦労、ありがたみ。
かけがえのない存在に、幸せでいてほしいと願う、
私のこの気持ちもおそらく愛なのでしょう。
実家を出て一人暮らしになってからは、
洗濯は自分がやるようになりました。
はじめの頃は洗って干すことすら面倒で、
アイロンがけなど苦痛でしかありませんでした。
しかし、この曲に出会い、
洗濯物に感情や思い出が宿るという考え方に触れて、
私の中に感謝の気持ちが芽生えるのです。
何かいいことがあった日は、
今日一日、気持ちよく過ごさせてくれてありがとう。
嫌なことがあった日は、
こんなしんどい一日を一緒に乗り越えてくれてありがとう。
そういった気持ちを込めて洗濯すると、
面倒だった作業がむしろ楽しくなるのです。
そして丁寧にたたみながら、
また次もよろしく。
もちろん口には出しませんが、
心の中でそうつぶやきながら洗濯物と向き合うのは
ある種のヒーリングのような穏やかで心地いいひとときになるのです。
洗濯物一つ一つに思い出があり、
その思い出には様々な感情が宿っているのです。
そして歌詞はこう続きます。
洗って干して、つくろって、しまって・・・
そう。 洗濯物は洗って干したら、次の出番を待つのです。
それが大切なものであれば繕って丁寧にたたんで、
次の出番、次のシーズンが来るまで丁寧に保管するでしょう。
その洗濯物が纏う思いとともに。
こうやって日々の思い出、感情が折り重なっていくのです。
洗って次の出番に備える。
これはその人の心が未来に向かっている証拠でしょう。
明日を持たない人は、
洗濯する理由も持ちません。
もう着ない、もういらない、
そうであれば、ただ脱ぎ捨てておしまいです。
孤独も愛も、悲しみも喜びも、
すべて受け容れて明日へ向かう。
洗濯して、洗い流して。
いつかまた身に纏う日がくる。
明日へ、未来へ、
過去に感謝を、未来に希望を。
その繰り返し。
人生とはそのようなものなのかもしれません。
明日着るものも やっぱり白いの?
そして曲では一番のサビでこう歌われます。
君のベランダに並ぶ真っ白い服は
風になびきもしないでただつるされているだけ
いろも しわも よれも しみも あいたあなも・・・
洗濯物は人生の彩り。
色も褪せます。しわもできます。
よれもするし、しみもできます。
時には穴があいてしまうこともあるでしょう。
けれど、そんな日々の世活の痕跡が何もない人がいる。
心を閉ざしてしまった人、
疲れ果ててしまった人、
未来を見失ってしまった人。
しわ一つない真っ白な洗濯物しか存在しない人。
あきらめからか、あるいは自分を守るためか、
全てを拒否して世界から断絶してしまう人。
その気持ちはよくわかります。
もうどうなったっていい。
私にも経験があります。
生きる希望はないが、死ぬ勇気も無い。
何もしたくないが、何もしないのも居心地が悪い。
どうしていいのかわからない。
いっそ生まれてこなければよかった。
ファウストの「憂い」がまさにそれでしょう。
ふとしたことで奈落の底のような感情に飲まれてしまうことがあります。
そういう人に向かって、真紀さんの言葉はこう続きます。
いろも しわも よれも しみも つけてあげる
そうして、洗って、ずっとくり返すのさ・・・ずっと・・・
全てをあきらめてしまった君へ、
僕がずっとそばにいるよ。
何度も汚れて、何度も洗って、
ずっと一緒に寄り添って活きていこう。
ずっと・・・ずっと・・・。
ただ明日があるさと励ますのではありません。
いっしょに分かち合おう、
ずっとずっと、いっしょに。
優しすぎて涙がこぼれそうになります。
せんたくものというタイトルのこの曲ですが、
テーマは愛であったのだろうと私は思います。
着る物ひとつにも誰かの記憶、人生が詰まっている。
そういった目に映る世界に対する優しい眼差し。
いろも、しわも、あっていい。
汚れたら洗って、時にはつくろって、
ずっと、ずっと、歩いていこう。
この曲からはそんなメッセージを感じました。
昔の私へ
目に映るもの、あたりまえの風景。
でもそれはたくさんの人の人生の集大成だということ。
真紀さんは洗濯物にフォーカスしましたが、
これは例えば食器や筆記用具、乗り物など、
さまざまなモノにも同じことが言えるでしょう。
私自身、お気に入りのペンや、大事な自転車、 思い出のゲーム、
感動した本、泣いた映画、 一緒に旅した鞄や靴など、
様々な思い出と結びついた愛着の深いモノがたくさんあります。
そういった自分の人生を支えてくれるたくさんのモノに、
「ありがとう」という気持ちを抱いて日々暮らしています。
モノに魂が宿るという思想、
八百万の神、 あらゆる場所に神がいるという価値観は、
神道の感覚なのでしょう。
日本人の感覚、日本の文化、
私の心にもとてもよく馴染みます。
この国に生まれ育ち、
こういった感性を持てていることに感謝。
だからこそ、視線の先に映るものが人や動物や植物など、
命を持ち目の前で生きている場合はもちろんですが、
空や雲や風、水や炎や土など、
命を持たないモノに対しても、時には感情を抱いてしまうのです。
数少ない気の合う人と過ごすひとときには深い喜びを感じます。
人間に生まれてよかった。
この人に出会えてよかった。
全てを肯定したくなる瞬間が、時折訪れます。
そして一人でいるとき、気分が沈んでいるときには、
眼差しをモノに向けるのです。
日々の暮らしを支えてくれているモノたちへ、
これまでありがとう。
これからもよろしく。
すると、重苦しい感覚で満たされていた心がふっと軽くなります。
通勤前、いつもの愛車に心で語りかけます。
「今日もよろしく」
すると、聞こえる気がするのです。
「まかせてくれよ」と。
もちろんこれは勘違い。
妄想と言っていいでしょう。
ですが、この感覚が心地いいのです。
洗濯物を通して世界の見え方、モノへの見方を変えてくれたこの一曲。
私にとって、忘れられない大切な一曲です。
思い思いに思い違い
以上が「せんたくもの」に関する今回の自分なりのまとめになります。
これは私の勝手な思い違いです。
矢野真紀さんの作品の意図とはかけ離れているかもしれません。
この記事に誰かを否定したり、意見を押し付ける意図はまったくありません。
こういう考えの人もいるんだな、程度に受け取っていただけたら幸いです。
最後に
この曲はアルバム「あいいろ」に収録されています。
シングルカットもされておらず、一般向けの曲ではないと思います。
ですが、洗濯物から誰かの人生や感情に思いを馳せる、
この曲の優しく、力強い独特の視点は、
少なくとも私の心には決して抜けないほど深く強く刺さりました。
まったくピンとこない人も多いでしょうが、
何か大きな気づきを得られる人もいるかと思います。
この記事を読んで少しでも興味を持っていただけた方、
是非一度聴いてみてください。
私のように、忘れられない大切な一曲との出会いになるかもしれません。
矢野真紀さんはご存知ない方がほとんどだと思います。
私の周りで知っている、聴いていると言う人に出会ったことがありません。
ですが、ライブに行けばファンにしっかり愛されている、
素晴らしいアーティストであることがわかります。
その優しさも強さも兼ねた独特の歌声は無二の個性と言えるでしょう。
真紀さんは結婚を期に一度活動を休止し、今はまた活動再開されています。
作品のリリースペースはゆったりしているので、
魅力的な既存曲たちを楽しみながら、 気長に新作を待ちたいと思います。
矢野真紀さん、素敵な音楽をありがとう。