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NEOGEO

【心に響くゲーム】龍虎の拳

今回のお題

今回はゲームについて。

紹介するのはSNKの「龍虎の拳」です。

90年代に一大旋風を巻き起こした格闘ゲームブームの黎明期の作品です。

私が格闘ゲームにのめり込むきっかけとなった大好きなゲームであり、

小学生の頃の自分、童心を思い出させてくれる今でも大好きな思い出の一品です。

また、遊びを通じて様々なことを学ばせてくれたありがたいゲームでもあります。

 

今回の記事ではゲームの概要から当時の雰囲気、

私が感じた圧倒的な魅力、遊んで得た学びなどについて記します。

格闘ゲームをプレイしたことがない方には全く意味の分からない、

極めてマイナーな記事になってしまうと思うので、

興味のある方のみご覧ください。

「100メガショック!ネオジオ!」

1992年、SNKは「100メガショック」と銘打って

奇抜な対戦格闘ゲームを世に放ちました。

それが今回ご紹介する「龍虎の拳」です。

今では想像もできないような話ですが、技術的な問題もあり、

当時のゲームのデータ容量は本当ににささやかなものでした。

容量に制限があるということは、内容にも限界があるということです。

必然的に開発者が本来詰め込みたかったものから取捨選択され、

一定程度内容がそぎ落とされたものになってしまいます。

映像、音響、キャラ数や使える技の数など、できることに大幅な制約を受けた中で、

各メーカーからの作品リリースが続いていました。

その流れを打ち破る圧倒的な存在としてリリースされたのが龍虎の件であり、

上記の100メガショックというコピーには

「100メガもの大容量を使った今までに無い衝撃的な作品を届ける」

という意味が込められていたのだろうと思います。

 

ではその大容量をどのように活用してユーザーにどんな衝撃を与えてくれたのか。

細かいシステム解説等は他サイトさんにお任せするとして、

ここでは私自身が魅力に感じた点をピックアップし、

それについて思うところに触れていきたいと思います。

キャラがでかい

龍虎の拳の特徴で、真っ先に挙げておきたいのはこの点でしょう。

とにかくキャラクターが大きいのです。

ズーム演出も搭載されていて、自分と相手のキャラクターが近づいて

近距離戦を展開する際には思いっきりズームインして画面が窮屈なくらいです。

この特大キャラクターが戦う圧倒的な迫力はまさに胸躍るものでした。

龍虎の拳以外にもズーム機能を採用している格闘ゲームは多々ありますが、

他の作品ではズームインしても龍虎の拳ほどの特大キャラにはなりません。

つまり、やり過ぎてしまっているのです。

先ほど書いた通り、画面が狭いと感じる程の大迫力。

SNK自身も他の作品でこれほどのズームを搭載した作品はありません。

一般論としては「ここまではやらなくていい」ということなのでしょう。

100メガショック第1弾としての期待やプライド、

開発チームの熱意がオーバーヒートしてしまったのかもしれません。

ですが、そこがいい。

他では見れない闘いがここにある。

普通の範疇からはみ出してしまったが故の圧倒的個性。

「龍虎の拳=でかい」

ゲームの内容以前の段階で人を魅了してしまう。

100メガショック、侮れません。

演出が細かい

先ほど書いた通り、このゲームのキャラクターは特大サイズで表示されます。

その大きさを活かして効果的にリアルさを演出してくれる工夫があります。

何と、頭部にダメージを受けると顔が腫れたりサングラスが吹き飛んだり、

マスクが割れたりと、実際にキャラクターのビジュアルに変化が起こるのです。

さらに、ラウンド開始状態の構えも体力が減るに連れて崩れていき、

敗北が近づくとキャラクターの見た目からも絶望感が漂います。

相手を倒すというゲームの根幹には一切影響しない要素です。

ともすると見落としてしまいそうなこれらの細かい演出が、

特大表示のキャラクターによって非常に伝わりやすくなっているのです。

プレイヤーとキャラクターの一体感を強く感じさせる素晴らしい演出だと思います。

ストーリー性が高い

お次は作品のベースとなるストーリーについてです。

格闘ゲームと言えば基本は一人ずつ相手を倒してボスを破りエンディング、

といったシンプルな流れになりがちです。

誰と闘いどういった理由でエンディングに向かうのか、

一人目を倒して二人目に挑む。そしてその次へ。

この流れにあまり意味はありませんでした。

しかし龍虎の拳は違います。

ベースにある「さらわれた妹を救う」という目的に沿って、

一人倒すごとに情報を引き出しながら話を進めていくのです。

「〇〇に聞け」、「〇〇が知っているだろう」といった感じで、

一人倒すたびに話が少し進み、一歩一歩核心に近づいている感覚があるのです。

一人一人の人間と向き合いお互いの関係性も把握しながら物語は進みます。

そして最後は勝利の美酒に酔うでもなく、

悪の組織を滅ぼして大団円でもなく、

覆面のラスボスの正体が実は・・・というタイミングで「TO BE CONTINUE」。

これほどドラマチックなストーリーを格闘ゲームで楽しめるのです。

小学生だった当時の私は文字通りドラマを見ている感覚でした。

勝ちたいから強くなりたいというより、続きを見たいからもっと強くなりたい、

といった気持ちで楽しく、でも一生懸命に遊んでいました。

戦うことのその先に目的があり、一人一人の相手を倒すべき理由がある。

これもひとつのリアルさを演出してくれているように思います。

サウンドがすごい

次は音についてです。

最も印象的なのは必殺我ヒット時などに鳴る「スカァァンッッ!!」という音です。

文字にするのが難しいのですが、分かる人には「ああ、あの音ね」とすぐ分かります。

一部では「龍虎音」として親しまれているとても爽快感に溢れたこの効果音は、

間違いなくこの作品の大きな魅力の一つでしょう。

そしてBGM。

SNKは新世界楽曲雑技団というサウンドチームを組み、

各ゲームのサウンドを開発しています。

このチームが奏でるメロディーがまたとてもクオリティが高いのです。

作品全体の雰囲気だけでなく、キャラクターやステージなど、

プレイヤーが触れる作品世界に寄り添うように素敵な音楽を添えてくれます。

キャラクターセレクトの気分を高揚させるBGMから、

第1ステージの日本料亭の和洋折衷したような曲、

バーや中華街、路地裏など、場所と相手も含めた雰囲気を上手く表現してくれます。

その他のSNK作品でも新世界楽曲雑技団のサウンドは常にハイクオリティでした。

学生時代にアルバイトして秋葉原に通い、

リリースされた音源CDオリジナル版、アレンジ版ともに

全てコンプリートした程大好きです。

アニメソングくらいしか知らなかった子どもに、

様々な楽器や音楽ジャンルの存在、

リズムの楽しさ、メロディーの美しさを教えてくれました。

私の音楽への関心の扉を開いてくれた先生といっていいでしょう。

この点に関してはただただ感謝しかありません。

必殺技がすごい

最後に龍虎の拳を語る上で外せない必殺技についてです。

格闘ゲームといえば個性豊かな必殺技。

これはある意味常識でした。

龍虎の拳はこの常識にも大きく揺さぶりをかけてきました。

その名も「超必殺技」。

必殺技とは「必ず相手を殺す技」という意味ですが、

一撃で勝負を決めてしまってはゲームの駆け引きがただの博打になりかねません。

必然的に必殺技は殴る蹴るより少し威力の高い技程度に調整されてしまいます。

この状況を打ち破ったのが必殺技のさらに上を行く「超」必殺技だったのです。

 

しかし、ただ単に上位の技を追加するだけでは先ほどの駆け引きの問題が生じます。

そこで活きるのがこのゲーム独特の「制約」の存在です。

そもそも超必殺技は初期状態では放てません。

ストーリーの合間に挿入されるボーナスゲームで「習得」する必要があるのです。

このボーナスゲームは選択制のため、超必殺技を習得するためには、

気力や体力を伸ばすチャンスを一つ失いコマンド入力の修行をすることになります。

さらに、気力システムという「コスト」の概念が上乗せされ、

超必殺技を放つには相応の気力を必要とします。

そして入力から攻撃までに膨大な隙を生じる「リスク」も伴います。

ここまでの制約を乗り越えてはじめて、

一撃で試合をひっくり返せるレベルのまさに奥の手を放つことができるのです。

その技の名は「覇王翔吼拳」。

ネーミングセンスがずば抜けてます。

これほど力強くかっこいい技名にはそう簡単には出会えないように思います。

ガードの上からでも相手を吹き飛ばす渾身の一撃。

ガード不能ではなくガードしていてもなぎ倒す。

圧倒的威力、重み、爽快感。

こういうのを待っていたんです。

修行して気力を溜めて覇王翔吼拳をぶっぱなす。

ただそれだけで幸せになれる。

いいゲームです。

大すきです。

 

実際にはさらに上の位置づけで隠し必殺技として、

「龍虎乱舞」という作品タイトルを冠した技も用意されています。

格闘ゲーム史上初の乱舞系必殺技として有名ですが、

膨大な気力と、修行ではなく瀕死状態であるという制約を与えられていますが、

こちらはガード不能で超絶威力となっており作中最強技となっています。

ただし説明書をはじめ普通にゲームをプレイする中ではその存在すら触れられておらず、

実際当時の私は龍虎乱舞という言葉すら知らず、見ることもありませんでした。

田舎の駄菓子屋の軒先では、隠し技について知っている子どもなどいなかったのです。

奥義というより禁じ手、むしろ秘技、まぼろしの技といった感じの存在ですね。

まとめ

まだまだ書きたいことが止めどなく溢れてきますが、

長くなりすぎたのでこのあたりでまとめに入ります。

私が龍虎の拳に惚れ込んでしまったのは恐らく、

作品世界への没入感、キャラクターとの一体感だったのではないかと思います。

共に闘い、ダメージを負い、体力を鍛え、気力を高め、奥義を修得する感覚。

さらわれた妹を救い出すために情報を集めながら核心に向かう高揚感。

戦うフィールドを疑似体験できるようなハイクオリティなサウンド。

背負い込んだリスクにふさわしい圧倒的な威力を放つ常識破りの超必殺技。

遊んだ後には映画一本見終わったような余韻を感じられる、

私にとってはそんなゲームだったのです。

 

今の目線で見ればグラフィックもサウンドも演出も全て「古い」と言われるでしょう。

対戦格闘でありながら一人プレイ重視、演出に比重を置いた作風は、

一般論としては糞ゲーと呼ばれても仕方ない面も多分にあります。

しかし、幼い頃に夢中になって楽しんだ思い出は、

いつまで経っても色あせることなく心に残り続けます。

 

龍虎の拳を世に放ってくれたSNKに感謝。

開発チームの皆様に感謝。

このゲームと出会えた人生に感謝。

龍虎の拳、殿堂入りの名作です。

思い思いに思い違い

以上が「龍虎の拳」に関する今回の自分なりのまとめになります。

これは私の勝手な思い違いです。

誰かを否定したり、意見を押し付ける意図はまったくありません。

思い思いに思い違い

こういう考えの人もいるんだな、程度に受け取っていただけたら幸いです。