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熊木杏里

【心に響く音楽】水に恋をする

今回のお題

今回は音楽について。

紹介するのは熊木杏里さんの「水に恋をする」です。

タイトルを一見しただけでは「???」となってしまいますが、

聴いてみるとその意味がよく分かります。

初めて聴いたときに私の心にすっと入ってきて、

今でも大好きであり、ずっと聴き続けるであろう大切な一曲。

杏里さんの人生観、生き方、哲学、意志といったものを感じさせる、

穏やかでありつつも非常に芯の太い素晴らしい一曲です。

ぼくは ぼくは生きたいのかもしれない

印象的だった歌詞を一部抜粋しつつ、私の感じたことを書いていきます。

まずは一番のサビ部分。

ぼんやりして見えるのは

ぼく自身なのに

形をなさないものが

好きで見とれてしまう なぜなんだろう

流れてゆく先々で

色や姿まで

変ってゆく 水のように

ぼくは ぼくは生きたいのかもしれない

私自身、今でも自分というものを明確につかめていないところがあります。

ぼんやりして見えるのはぼく自身。

確かにそうで、だからこそ不安定にもなるし、

はっきりしないそんな自分を嫌になることもあります。

 

なのにそんな自分が見とれてしまうのは、

多くの場合、目の前の形のないものだったりします。

はっきりしないものに強い魅力を感じてしまう。

季節の移り変わり、頬をなでる風、川のせせらぎ、懐かしいにおい。

人のぬくもり、やさしさ、強さ、はかなさ、そして思い出。

本当に好きな物はみな具体的な形を持っていないことに気づかされます。

 

そんな中で、杏里さんの言葉は水にフォーカスします。

空から雲へ、雲から雨へ、雨から川へ、川から海へ、そして海から空へ。

グラスに注げばグラスの形に、両手ですくえば手のひらの形に。

色も姿も変えながら、それでも確かにそこに存在する。

優劣などなく、止まることも急ぐこともなく、ただ悠久の時を生きてゆく。

そういう生き方、水のようなあり方もできるのかもしれない。

ぼんやりした自分にも、歩ける道があるのかもしれない。

そういう気持ちにさせてくれます。

 

一人前の人間、立派な大人、成功者。

他の誰か、具体的な何かになろうとするのではなく、

水のように「常に変化し続ける」という生き方もある。

強い日もあれば、弱い日もある。

楽しい気分の時もあれば、悲しい気分の時もある。

誰かの役に立てることもあれば、誰かに助けられることもある。

生きたいと願う日もあれば、死を待ち望む日もある。

そんなはっきりしないどっちつかずの日々を全て含めて「自分」である。

そういう気づきをもらいました。

そこがぼくの居場所になる

そして曲では二番のサビでこう歌われます。

次の約束でぼくは

雨に流されて

土やどろにまみれよう

涙よりも心を 落としこんで

帰り道がなくなっても

ただいまって言えば

そこがぼくの居場所になる

きっと ずっと そうやっていければいい

次の約束。

まずこのフレーズに震えました。

生まれた以上いつか必ず人は死にます。

これは命の約束といっていいでしょう。

今生きて活躍している同年代のアーティストが

すでにもう「次」を意識しているのです。

この人生の終わった先、死の向こう側を見据えています。

この言葉が優しく美しい声でさらっと歌われます。

これが非常に衝撃的でした。

 

そして続く歌詞から、これが何らかの諦めからくる

感覚ではないことが分かります。

「ただいまって言えば そこがぼくの居場所になる」

たとえ今いる場所を離れても、これからどこへ向かっても、

その場所でただいまと言えるなら、私の居場所はなくならない。

心強い言葉です。

これは私の実感としてもその通りだと思います。

老朽化と台風被害で実家が取り壊しになった際、

ふるさとが消えてしまうような気がしてとても悲しい思いを抱きました。

けれど、そんなことはまったく無かった。

生まれ育った実家でなくとも、家族が集いお帰りと言ってくれる。

その場所がどこであれ、私がただいまと言えるなら、

そこが居場所になるのです。

 

水のように移ろいながら生きる。姿形を変えながら生きていく。

今の私、今の状況にこだわり一つの生き方を貫く必要は無く、

いつだって何をやめても始めてもいい。

どこにでも行けるということは、どこにでも帰れるということです。

たとえ肉体的に制約を受ける状況であっても、精神は距離も時間も超越できます。

国や地域や組織や家族といった限定的な物ではなく、

この世界に属する私。

その視点に立てたとき、過去や現在や未来、

そういった時間の概念からさえも解き放たれました。

大切なものがすべて失われても、思い出すことはできる。

永遠に生きることはできなくても、未来を信じることはできる。

私の中にそういう感覚が芽生え、心の中の得体の知れない不安が消えました。

自分にとってはこれで十分。

必要な物は全て持っていたのだと気づいたのです。

ぼくは ぼくは 生きたいのだと思った

そして三番のサビでこう締めくくられます。

ぼんやりして見えるのは

ぼく自身だけど

形をなさないものに

糸が見える気がして 手を伸ばしてる

流れてゆく先々で

何かになって

それがわからないままでも

ぼくは ぼくは 生きたいのだと思った

形をなさないものに糸が見える。手を伸ばす。

きっとこの糸のことを縁と呼ぶのでしょう。

形がない、止まらない、私も、世界も。

そんな中でふとした瞬間に出会う。

ほんの一瞬のすれ違い。

二度とは来ない無二の縁。

そういうものに触れたくて、手を伸ばす。

世界を目に焼き付けようとする。

その気持ちはとても共感できるものです。

 

この曲に出会って、人生を愛しく思うことがとても多くなりました。

景色を眺めたり、耳を澄ませたり、何かに触れたり。

誰かと話したり、聴いたり、喜んだり、悲しんだり。

その瞬間に私を包む形のないものが穏やかな温もりを感じさせます。

 

水のように変化しながら生きていく。

自分がこの先一体何になるのか、それはわかりません。

肉体的に、あるいは精神的に苦しむことも大いにあるでしょう。

しかし、それもやがて過ぎ去るはず。

その先の何かに変っていくのだと思います。

未来に保証などない。

それでも、

だからこそ、

生きてみたいと思う。

昔の私へ

希望を失い死を望んだあの日、未来は真っ暗闇だと思っていました。

暗闇に足を踏み入れるのは恐怖でしかありませんでした。

人生に幕を降ろせなかったのは、単に勇気がなかっただけに過ぎません。

自堕落で情けない日々をだらだらと続けて、

自己嫌悪だけを積み重ねていました。

まさに泥水のような日々でした。

けれど、死ねないということは生きているということです。

無気力ながらも日々を重ねる中で、

時の流れは淀んだ泥水に変化を促しました。

泥にまみれて初めて気づいた世界の美しさ。

他人の背中や顔色ばかり追いかけていた日々からこぼれ落ち、

他の生き方もあるということに気づきました。

視界が、世界が一気に広がりました。

 

嬉しいことは素直に喜べばいい。

悲しいことは「普段は悲しくない」ということに

感謝する機会だと思えばいい。

悪い出来事など存在していなかった。

人生終わりなんてただの思い違い。

いらない人間なんて勝手な思い違い。

 

暗闇は恐れるべきものじゃない。

ただ先が見えてないだけに過ぎません。

闇雲に飛び込めば何かにつまずき転ぶこともあるでしょう。

けれど、明かりを灯して見渡してみれば、

思いもよらない素晴らしいものが姿を現すこともあります。

わからないから拒絶するのではなく、

わからないから試してみるのです。

一気に踏み込む勇気が無ければ、

ゆっくり時間をかけてもいいでしょう。

 

この先の自分の未来に何が待っているか、それは今も分かりません。

相も変わらず目の前は真っ暗闇です。

でもそれがあたりまえ。

闇の先、風になったり、雲になったり、

あるいはまた泥水となる日も来るでしょう。

それも含めて楽しみです。

今は少しずつ、明かりを灯して進んでみようと思います。

私のこの人生の約束の日まで、

行けるところまで、生きてみようと思います。

 

この歌に出会って、

ぼくは ぼくは 生きたいのだと思ったのです。

思い思いに思い違い

以上が「水に恋をする」に関する今回の自分なりのまとめになります。

これは私の勝手な思い違いです。

誰かを否定したり、意見を押し付ける意図はまったくありません。

思い思いに思い違い

こういう考えの人もいるんだな、程度に受け取っていただけたら幸いです。

最後に

この曲はアルバム「私は私をあとにして」に収録されています。

シングルカットもされておらず、一般向けの曲ではないと思います。

ですが、非常に個人的で内省的な、心の内側をさらすようなこの曲の歌詞は、

少なくとも私の心には決して抜けないほど深く強く刺さりました。

まったくピンとこない人も多いでしょうが、

何か大きな気づきを得られる人もいるかと思います。

この記事を読んで少しでも興味を持っていただけた方、

是非一度聴いてみてください。

私のように、忘れられない大切な一曲との出会いになるかもしれません。

 

熊木杏里さん自身、CM起用などは多いのですが、

まだ誰もが知っている有名アーティストというわけではありません。

ですが私は、知名度や人気だけが作品の絶対的な価値では無いと思います。

誰にでもそれなりに受け容れられるのではなく、

分かる人にはとことん分かる。

忘れられない出会いになる。

そういうものがこの世界にはたくさんある。

そんなことを気づかせてくれる素敵なアーティストです。

熊木杏里さん、これからも応援していきたいです。