今回のお題
前回記事に引き続き、ファウストについて語ります。
*私が読んだのは新潮文庫の高橋義孝さん訳のものです。
*以下、文章の表現の出典はこちらの本からになります。
簡単なあらすじから、私の心に響いた言葉についてまで紹介してきましたが、
前回触れていない重要なポイントがあります。
それはファウストの至福の瞬間は思い違いだったということです。
今回はこの点について語りたいと思います。
彼の夢は実現しなかった
物語の終盤、憂いによってファウストは視力を失ってしまいます。
しかし彼は耳に入る「干拓事業が進む音」を聞いて、
自分の夢、理想が実現するのを確信します。
ですがこれはメフィストフェレスの罠だったのです。
ファウストが聞いた音は、干拓工事の作業音ではなく、
メフィストフェレスがファウストの墓穴を掘っている音だったのです。
ファウストは人智を越えた長い旅路の果てに求めました。
「日々に自由と生活とを闘い取る者」を、
「自由と生活とを享くるに値する者」を。
しかし、共に生きたいと願った自由な民など存在しなかった。
閉ざされた視界の向こうにいるのは、
彼の魂をつけ狙い、今か今かと死を待つ悪魔だったのです。
そして、彼は騙された。
悪魔に敗れ、命を無駄に失ったという見方もできます。
ならばファウストは不幸だったのか、
彼の人生は失敗だったのか。
私にはとてもそうは思えませんでした。
その理由、私なりに思うところを書いてみようと思います。
受け取り方が10割
思い思いに思い違い。
人それぞれ自分が幸せでいられるように、
目の前の現実を自由に思い違えてしまっていい。
このブログのタイトルに込めた思いであり、
私自身のモットーです。
その根幹にあるのは、
「人生は受け取り方が10割」という考え方です。
状況が変わればものの見え方は変わります。
ある人にとっては正しい行いが、ある人にとっては過ちに見える。
良かれと思ってやったことが、相手を傷つけてしまうこともある。
挫折したと感じた出来事が、未来を切り拓くきっかけになることもある。
強い個性が人を魅了することもあれば、個性を理由に人に排斥されることもある。
ものごとには必ず表と裏、あるいはそれ以上の複数の側面があります。
目の前の出来事に対して、人の心には無意識的に、反射的にパッと感情が浮かびます。
そのあるがままの感情を是として、その感情の勢いのままに行動してしまいがちです。
しかし、見方を変えればそれとは別の考え方もできるはずです。
目の前で起きた出来事で強い感情が生まれたとき、
一瞬自分に問いかける。
「それは本当か?」と。
「それは最終結論か?」と。
これは私の実体験で、交通事故にあったときの話です。
渋滞に気づかず減速が遅れた後ろの車が、停車中の自分の車にぶつかりました。
一瞬の急な衝撃の後、反射的に浮かんだのは、
「追突された!」
「なぜこんな目に!」
「仕事に間に合わない!」
「どうしてくれるんだ!」
といったネガティブ感情のオンパレードでした。
ここまでが自分の心の素直な反応です。
そしてここから、一瞬自分に問いかけます。
「それは本当か?」と。
ひと呼吸ついたあと、私の中に別の視点の考えが浮かび上がってきました。
「高速道路で追突されて、この程度で済んでよかった」
(相手が減速していなければ大惨事になっていた)
「自分一人で乗っている時でよかった」
(他の誰かを巻き込まないで済んだ)
「こういう事態なら仕事に遅れるのは仕方ない」
(非常時の対策は日頃から用意してある)
「後ろのドライバーは大丈夫だろうか」
(動揺してパニックになっているようなら自分がフォローしよう)
そして車から降りて後ろの車の運転手に最初にかけた言葉は
「お怪我はありませんか?」でした。
怒りと悲しみの入り交じった暗い感情から、
落ち着きと余裕を取り戻して冷静に事態に対処することができました。
もらい事故は一般的に不幸な出来事、ツイてないとされるでしょう。
何もないのがベストで、事実今回は車もダメージを受け、
時間も失われ、職場の仲間にも多少の負担を掛けてしまいました。
この程度で「良かった」というのは私の勝手な思い違いです。
事実としてはそもそも追突されている時点で「良くない」のです。
ですが、目の前の現実の受け取り方を自分なりに変えることで、
自分自身の心が受け取る意味を大きく変えることができました。
受け取り方を工夫することで、世界は変わるのです。
いえ、厳密には世界は変わりませんが、
世界の見え方が変わるのです。
思い違いには人生を変える力があると、私は信じているのです。
それゆえ、ファウストの思い違いは彼にとって間違いではない。
ベストな受け取り方をしたのだと私は思っています。
メフィストフェレスに騙された。事実でしょう。
賭けに破れた。事実でしょう。
理想は実現しない。これも事実でしょう。
しかし、彼の心はそれらの事実を超越して、幸福に満たされました。
魂を差し出しても惜しくはないと思えるほどに。
求め続けた真理にたどり着いたという確信とともに。
万感の思いを込めた人生最後の約束の言葉とともに。
これこそ思い違いのなせる、個人の幸福の極地であると思います。
彼の幸福感は妄想に基づくものであったかもしれません。
ですが、大切なのはそこではない。
その妄想の結果、勝手な思い違いの結果、
彼の人生は満ち足りた素晴らしいものになったのです。
受け取り方、考え方、感じ方。
結局、人にとって本人の心が認識したものが全てなのです。
それゆえ、人生とは受け取り方が10割なのだと私は思うのです。
思い思いに思い違い
以上が「ファウスト」に関する今回の自分なりのまとめになります。
これは私の勝手な思い違いです。
誰かを否定したり、意見を押し付ける意図はまったくありません。
こういう考えの人もいるんだな、程度に受け取っていただけたら幸いです。